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ミニマリストへのきっかけ*社会学的観点からの考察

ミニマリストになったきっかけは人それぞれでしょう。私の場合は、失恋から立ち直るために断捨離をはじめたら、ミニマリストが気になりはじめて、最小限を探り出しました。

ある人は海外での留学経験をきっかけに、またある人は引越しの費用削減のための荷物整理をきっかけに、またある人は貯金のために無駄を削ぎ落とした結果ミニマリストになったそうです。
今日はミニマリストに なったきっかけを社会学的に考えてみたいとおもいます。

ミニマリズムへのきっかけ

様々な人がミニマリズムに目覚める動機に共通することは

ある種のイデオロギーに気がついたということが挙げられましょう。

 

イデオロギーとは

それが絶対の考え方ではないのに絶対だと思わせる考え方です。

人はイデオロギーに気がついたとき、一般的にイデオロギーなんらかの反応をするものですが、
イデオロギーを変えてやろう、イデオロギーとは反対のことをしてみようなどを思う傾向があります。

 

不要品の断捨離からミニマリストへ

私は、断捨離を進めていくにつれ、自分の家にある無駄な物が気になりはじめました。

これまで、当たり前にあった物に対して「なぜこれを買ってしまったのだろう」、「なぜこれをずっと使っているのだろう」という視点でみるようになったのです。

 

留学経験からミニマリストへ

留学経験をきっかけにミニマリストになった方は、留学先で普段とまったく異なる環境に身を置いた経験から、自分の住む環境に違和感を感じた。

つまり相対的な視点を手に入れた結果、当たり前として過ごしていた環境に不便性を感じるのです。そしてより便利で心地よい生活について考えるようになったのでしょう。

 

引越しからミニマリストへ

引越しの荷物整理をきっかけにミニマリストになった人は、分析的な視点をもっていると言えます。それは引越し代が、自分の持っている荷物量と比例することを知ってるからです。そして荷物にお金をかけることにイデオロギーを感じたのです。なんとなく持っている荷物全部、すなわちそれほど重要ではない荷物に対してもお金を払ってまで、運ぶ必要はあるのか?そう考えた結果です。

 

貯金の必要性からミニマリストへ

貯金をきっかけにミニマリストになった人は、イデオロギーに気がついた人の典型例だということは言うまでもありません。差し迫った状況において、自分の生活を振り返ると無駄なモノにお金をかけている、そう感じたのでしょう。

 

ミニマリズムへの共通するきっかけ

あるイデオロギーに対して、とった行動がミニマリズムだったといえば大袈裟ですが、多かれ少なかれ違和感を感じた度合いが、それぞれの最小限主義的生活の模索に至ったのです。

度合いの違いとは、「完璧なミニマリストになりたいな」と思う人もいれば、「ある程度の量は捨てる自身はないけど、ミニマリストになってみたいな」と思う人もいるという意味です。

 

ミニマリストの定義とその理解

いうまでもありませんが、個人が感じる違和感の度合いには優劣はつけれません。したがって個人の最小限主義の度合いにも優劣はつけれないのです。そこで、「〇〇だけ所有するのがミニマリスト」、「これを捨てればミニマリスト」という物質的な言い切りは、わかりやすいという点で有効ですが、出発点からして個々人の感じ方であり、その度合いに差があるミニマリズムの定義付けは行わない方が無難でしょう。

そこでわたしは、ミニマリズムは、定義づけできる概念ではなく、意味論的分析により把握できる概念だと結論づけておきたいです。すなわち、ミニマリズムについてはある特定の言葉による定義付けより、意味論的分析から理解するほうが良いよいうわけです。

 

ミニマリズムに求めたこと

このようにミニマリストになったきっかけを分析すると、今まで当たり前だと思っていたことが実は合理的な判断によるものではなかったと気がついた人々が、より納得のできる自分の能力・時間・空間の使い方を模索した結果ミニマリズムに行き当たっと考えられます。

ミニマリズム考察の余談

無印良品がヒットした理由や買わない消費者についての論文を見かけることがあります。ミニマリズムについても、これらとほぼ一致するような構造があります。シンプルライフや、小さい暮らしなどの関係のあるキーワードについても、応用できそうです。

 

ミニマリズム考察の今後の展開

ミニマリズムをイデオロギーから考えましたが、以上のような理論は、最初の一歩にすぎません。つまり、よく見かけるミニマリストへの批判については述べていないからです。今回は第1段階で留めておきます。

 

最後にミニマリストの私からコメント

私はこの場でみなさんに「ミニマリズムは素晴らしい、みんなもミニマリストになってみたら?」というつもりはありません。

ただただ、ミニマリストになる動機にイデオロギーという切り口で考えてみたにすぎません。
ミニマリズムが最高のものだという認識はわたしはもちません。

ミニマリズムは私が心地よく生きる方法です。つまり、それが目的ではないと言い換えられます。
ミニマリズムは、様々にある「良い」生き方の模索についての方法論の1つだと認識しています。
この主張の詳しいことついては、「生き方とミニマリズム」について考察する機会に説明を譲ることとします。

読んでくださりありがとうございます。

 

この投稿についての留意点

私の専門は社会学ではありません。もし、このブログを読んで、このテーマを論文に書こうと思った方はきちんと参考文献調べてくださいね。あくまで私的なブログの範囲での主張です。コピペはアウトですが引用は歓迎します。
ミニマリズムへの理解の一助となれば嬉しく思います。

本文で述べたように、意味論的分析からミニマリズムの概念把握をしてみたいです。
2017/01/15 浅田