丁寧な暮らしを日々実践したいから*おもむろに語りだされた自分を大切にはすることとは?
こんにちは、丁寧な暮らしを実践するミニマリスト・浅田です。
今日は、丁寧な暮らしの本質的概念「自分を大切にする」について、とりとめもなく思うコトを浅田が話します。
ブログということを無視して浅田は話すみたいだから、読みたい人だけ読んでね。
おもむろに語りだした浅田、テーマは自分を大切にすることについて
最近また自分のことを大切にできていなかったぜ。…(以下に続く)
すごく些細なことでも心の琴線に触れたことがあると、それに反応して嬉しくても悲しくても涙が溢れてくる日があります。
自分のことを大切にできていたときは、感謝で溢れてるんですよね。
でもそうじゃないと、ただただ悲しみが溢れてく。
このバランスは時々で違うのですが、自分を大切にできているか否かと関係があることに気が付きました。
(毎回のことなので、観察してみると、自分にはこのような傾向・パターンがあることが分かった。)
この間は例のその日だったんですが、なんか物凄く「負」の要素の方が強くて…。
久しぶりにbroken heartでした。(失恋という意味ではないよ)。
とはいえ、そんなときには、ものすごく周りが自分を支えてくれているのだなと心から感じることができます。
いつも私を気にかけてくれている人はもちろん、ひょんなことから繋がりがあった人から、たわいもない、だけど嬉しくなるようなメッセージが飛んできたりします。
そんなことがあると、余計に泣いちゃうわけですが。
強く、この世界の秩序について感じることができるわけです。そして、泣き止むことができるね。
日々、自分の内なる声や想いをきちんと聞き、それに従うことで自分を大切にできるわけなんですが、これが結構難しい。
アレもコレもやらなきゃいけないこと(本当はやるかやらないかは自由であること)があって、自分にちゃんとかまってやる暇がないんです。
そして、つい自分を自分で傷つけるような行動にまで発展しても気づかない。
なんか嫌だなと思うことに対しても鈍感になってしまい、知らず知らずのうちに、むしろ自分を自分で傷つける状態になってしまう。
だって、人前で「そんなことされたら悲しい!泣いちゃう!」とか言えないのはもちろん、そういう表情をすることすら私には困難。
親しい人にはさすがに顔にでちゃうけどね。
この一か月はそんな感じだったな~って、例の涙の日が巡ってきて気が付いたよ。
いや~ほんといけないよ、自分で自分を傷つけるなんてさ。
普通は気づかないうちにやっちゃうもんだからたちが悪いね。
度が過ぎたら、わかりやすく自傷行為になるけどな。
意思をもって自分と向き合う必要がある。
そして聞いた内なる声をちゃんと実践して面倒見てあげないとだよな。
今現在の自分に立ち返り要求をきいてあげる感じだな。まるでちびっ子のような自分を認めてあげるような、そんな感じかなぁ。
美味しい紅茶が飲みたいって言えば、それを叶えてあげる。
何にも食べたくないっていうなら、無理に食べなくていい。
食べたい!って思うような美味しいもの食べさせてあげる。
ほしいっと言うなら買ってあげる。
絵が描きたい!って言うなら時間を与えてあげる。
眠たいなら、寝かせてあげなよ。
綺麗なお洋服が着たいと言うなら、よく着て古くなったお洋服は捨てちゃって新しいのを買ってあげる。
…etc。
わがままですよホント。
仕事や学校の期日とかスケジュールとかあるけど、まぁまぁ無視してくる(・・;)
だけど、そんなわがままな要求を受け入れられないほど余裕がない方がイヤなんだよな。
それに、「やらなきゃっ」って思うタスクは、案外なんとかなるし、結局遠回りが近道だったりするの。
全ては大丈夫!
そうそう、それに大切な人にはその想いをちゃんと伝えなきゃな。
「ホントはこうなのにな…」とつぶやく心の声があると思うけど、なんというか、打算的になってアレコレ考えてるうちに本当の想いが何かわからなくなってしまうんだ。
で、あたりさわりのないことになっちゃうんだな。
そういう嘘ってちりつも…。
結局、本音は遅かれ早かれ伝わるものなのかなって思うし、1つウソをついたらまたウソをつかないと矛盾が生じる。
そうやってどんどん、素直になれなくちゃうからいかんね。
違和感とかに気が付いたら、そのあともずっと残ってるもんだし、なんかあれ?って思うコトは案外外れていない。
様子見よ…ってなるけど、その場で少しづつ修正していく方が、後の反動が小さいというか穏やかな解決策がある感じですね。
とはいえ、それって結構勇気がいるんだよな~。
だからこそ、自分の本当の想いを汲み取りそれを実行してやる揺るぎない意思をもとうとせねばね。
自分を大切に!
利己的になるんじゃないかという恐れは無用なんだよな。
これがなかなか理解しがたいけど、この不安は自分を蔑ろにする発想ともなりうる。
これについては、利他と利己の精神について語らねばならんから、その理由はまた機会があったら考えてみたいね。
(本一冊分がかけそうなくらいだけど。)
とにかく、私も含め、自分を大切にすることについて一考して見ようというお話よ。
読んでくれてありがとう。
共感してくれる人がいたら私も嬉しいよ。
あ、すごいテンション低めな文章だけど、めっちゃ元気だよ!!!
蛇足
前に、「思いやる」について数人の友達を議論したことがあるんだけど。
「思いやる」とは他人に対してだけでは不十分で、同様に自分に対してもその気持ちが必要になってくる。
この深い意味について自分で考えたい人は、この中学生向けの教材になっている「カーテンの向こう」という作品をよんでみてほしい。(物語としても面白い作品なのでぜひ。リンク張っときます。)